かわいい絵と世界観で描かれている『崖の上のポニョ』。
一方で宗介(そうすけ)の母親、リサの人柄やセリフが気になる人が多いようです。
その中でも、リサの最後のセリフが聞こえない!と話題に。
今回は、リサ最後のセリフと意図について考察していきます。
そのほか、リサが作中で死んでしまったのか、死んでいないのかの真相についても迫ってみましょう。
母と子の物語とされている『崖の上のポニョ』。
作品に登場するリサ以外の母親についても考察していきますね。
では、いっしょに最後までおつきあいください🎵
【ポニョ考察】リサの最後のセリフの意図は!?
「あなたも!グランマンマーレ!」
リサが最後に言ったセリフです。
このセリフには、リサとグランマンマーレが対等であるという意味が込められているのでしょう。
ネット上では、なんていったか聞こえない!という声が続出しているんですよね。
グランマンマーレは、ポニョのお母さんの名前。
作中では、グランマンマーレが名前で呼ばれたのはこの1回きりでした。
ポニョからは「お母さん」、夫のフジモトでさえも「あの人」と呼んでいますよね。
フジモトはグランマンマーレと夫婦なのに距離を感じると思いませんか?
リサはポニョのどんな姿を見ても愛情を持って接しています。
グランマンマーレに対しても、巨大で怖い生き物だなんて思わず、対等に接していると感じられるこのセリフを聞いてさすがだなと感心しました。
この作品は、名前を大切にしている作品だと私は感じます。
ポニョが宗介に名前をもらったときから、フジモトに「ブリュンヒルデ」と言われることを嫌いますよね。
わざわざ「ポニョだもん!」と言い直すのです。
それに、宗介の家族はお互いに名前で呼び合う。
「あなたも!」で止めてもいいものを、そのあとわざわざ名前を呼ぶことで、一気に距離が縮まっているように見えます。
リサはポニョのときと同様に、グランマンマーレに対しても一個人として接しているのです。
正直、私だったら、あんな巨大でギラギラしている人が相手だと、少し距離を置いてしまいそう。
リサからすると普段から自然にしていることなのでしょうけどね。
実際、これがなかなか難しい。
つづいては、
リサが死んでしまっているのか?死んでいないのか?ネットの声を集めながら考察していきます。
【ポニョ考察】リサは死んでしまったのか?
リサが死んでしまったという説があるのは、ポニョが起こした津波にのまれたと考える人がいるからです。
そのシーンを振り返ってみましょう♪
リサはひまわりから自宅へ帰りました。
でも、やっぱりひまわりの人たちが心配だと宗介とポニョを置いて施設へ戻るのです。
宗介たちは次の日、リサを追いかけましたが、見つかったのはリサカーだけ。
結局、クラゲドームにひまわりのみんながいましたが・・・
そこではおばあちゃんたちが「リサさん、つらいでしょうね」や「あの世もいいわねー!」といったセリフが飛び交っていました。
「つらいでしょうね」は、宗介を置いてきてあの世にきてしまったことに対して言っているのでしょうね。
こんなセリフを聞いたら、死んでしまったと思ってしまいませんか?
それに、クラゲドームでのおばあちゃんたちは車椅子に乗らずに走り回っています。
今まで車椅子に乗って生活していたので、これは衝撃的ですよね。
これも、あの世へ行ってしまい、体が自由に動くようになったのではといわれているのです。
そんな場所にリサもいるとなると、死んいるんじゃ?と感じる人がいるのも納得してしまいませんか?
私はたしかにその通りかも…と思ってしまいました。
それを踏まえて観ていると、グランマンマーレと話しているリサの背中も、どことなく悲しそうに見えてきちゃいますが…どう思いますか?
【ポニョ考察】リサは死んでいない?
その一方でリサは死んでいないのでは?という声もあるのです。
クラゲドームはフジモトやグランマンマーレの魔法でできており、おばあちゃんたちの足も魔法で治したという考えです。
おばあちゃんたちのあの世を感じさせるセリフは、あの世だと錯覚しているか冗談で言っているのだと考えられます。
現実でも、おばあちゃんたちが生きているのにあの世の話をすることはありませんか?
私はよく耳にするので、冗談の可能性もあるな~と思います。
グランマンマーレとリサが話していた内容は、きっと宗介とポニョのこれからについてだと思うんです。
グランマンマーレのかけた魔法は、あなたの大事なおばあちゃんたちの足を治してあげたのだから拒否権はないのよ、と言っているような圧でもあるのかなと勝手に考えてしまいました。
フジモトもグランマンマーレには逆らえない圧がありそうなので、リサにもしれっと圧をかけているのかなと思ったり…。
サバサバしているリサに、それが通用するのかはわかりませんけどね(笑)
それにポニョが人間の女の子になることができて、これからリサたちと一緒に暮らすことができるのだから、誰も死んでいないと考えたいものです。
この考察、あなたはどう考えますか?
続いては、リサの母親としての側面に迫ってみます!
リサとはどんな母親?
人に対して愛情深く、家事や育児に仕事をすべてこなす母親です。
サバサバしていて明るく、男勝りな性格をしています。
ポニョが半魚人でも人間に変化する姿を見せても不快な顔はせず、すぐに受け入れられるほどの器の持ち主なんです。
ひまわりの人たちに対しても、ひとりひとりに愛情をもって接しているのがわかりますよね。
実際に、津波のなか心配でひまわりに戻ったシーンがありました。
町のみんなが、リサのことが大好きと思う気持ちはもとってもよくわかりますよね。
なんでも1人でできるリサを、宗介を含めたみんなが頼りにしているのでしょう。
私がいちばんリサに感じることは、宗介に名前で呼ばれていることです。
父親に対しても名前で呼んでいますよね。
これについて、鈴木敏夫プロデューサーは、宮崎駿監督の設定として、次のように語っています。
世の中に、名前で呼び合っている親子は少数だと思いますが、私はこの教育方針にかなり賛成派なんです。
物語を観ていても、宗介は普通の5歳よりもかなりしっかりしていますよね。
リサカーにリサが乗っていなかったとき、宗介が泣き叫んでいたあのシーン。
でもそのあと、そうすけは涙をぐっと堪えてリサを探しに行きました。
そんな5歳、存在するのでしょうか…。
少なくとも私はショックでその場からしばらく動くことなんてできません。
こういったいざというときのためを思って、早めに自立できるようにしつけているんでしょうね。
これについて「子どもがマネをする!」などの批判の声もありました。
そんななか、私に限らずリサの教育方針に憧れを思った人も多いのではないでしょうか。
つづいては『崖の上のポニョ』に登場する4人の母親像について迫ってみます!
『崖の上のポニョ』は母と子の物語
作中では、大きくわけて4人の母親像を持った人物が登場します。
いつも一緒にいることはなく、子どものいうことを尊重するグランマンマーレ。
子どものことを想って、とガミガミ言ってしまうトキさん。
みんなが想像する一般的な母親像の赤ちゃんのお母さん。
『崖の上のポニョ』のあらすじにはこんなフレーズがあります。
少年と少女、愛と責任、海と生命。
神経症と不安の時代に、
宮崎駿がためらわずに描く、母と子の物語。
引用:映画 崖の上のポニョ パンフレット
このフレーズから『崖の上のポニョ』のコンセプトは、母と子の物語だといえます。
さきほどあげた4人の母親に共通している点が、自分の子どもにかなり愛情深いところなんです。
リサやグランマンマーレ、赤ちゃんのお母さんは表向きに愛情表現をしているのは見ていてわかりますよね。
宮崎駿監督のお母さんをイメージしたとされているトキさんは、誰に対してもツンツンしていて冷たい!と感じた人も多いでしょう。
私もそう思っていました。
でも、宗介が無事だったことがわかった最後のシーン、トキさんが1番最初に宗介に飛びついて泣いていたのを知っていますか?
本当は宗介を自分の息子のように大切に想っているからですよね。
ほかのお母さんとは違い、不器用で前面には出せないだけなんだと思うんです。
そういうツンデレな人、結構いると思っているので私はリアルに感じました。
これは私の考察なんですが、映画『崖の上のポニョ』は母親のあるべき姿なのかな~と思ったりもしています。
ニュースでは自分の子どもを生んでも育てない母親をよく見ます。
でもそこに愛情があればそんな選択はしないと思うんです。
母親になる覚悟という初手はまずそこからなのかなと。
これも『崖の上のポニョ』のコンセプトを理解した上でできた考察ですよね。
【ポニョ考察】リサの最後のセリフは? まとめ
・リサが死んだ説-ポニョが起こした津波にのまれたと考えられるから。
・リサが死んでいない説-不思議な現象はフジモトやグランマンマーレの魔法と考えられるから。
・リサは人に対して愛情深く、家事や育児に仕事をすべてこなす母親。
・『崖の上のポニョ』は、現実にいる4人の母親像を持った人物を投影している。
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