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『崖の上のポニョ』の舞台がなぜ広島県鞆の浦なのか?

崖の上のポニョ
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2008年公開の映画『崖の上のポニョ』は港町が舞台の物語ですが、モデルとなった街があることをご存知ですか?

スタジオジブリの公式では"大いに参考にした場所"として広島県福山市鞆の浦(とものうら)を挙げています。

鞆の浦は、港町の良さや自然がそのまま残っている街ですが、坂本龍馬が率いる海援隊の「いろは丸」が沈没した場所でもあるなど、歴史的にも造詣が深い街です。

では、なぜ鞆の浦が映画『崖の上のポニョ』の舞台になったのかについて、今回はお伝えします。



崖の上のポニョの舞台は?|鞆の浦(広島県福山市)がモデルとなったわけ

映画『ハウルの動く城』(2004年)公開後に、スタジオジブリの社員旅行で鞆の浦に訪れたことがきっかけだったようです。

鞆の浦が『崖の上のポニョ』の舞台となった街であることは有名で、ジブリ旅として訪れる方も多くおり、色々なシーンを思い起こさせる場所の紹介が、たくさんツイートされています。

昔の港町という風情を残しながらも、どこか可愛らしい雰囲気のある街並みが、ジブリファンをワクワクさせるきっかけになっているような気がしますね。

 

当時、宮崎駿監督は『ハウルの動く城』の制作に追われた後で、精神的に疲れていたとのこと。

ものすごいモノなんですね。

私たちは映画を楽しむだけの立場ですが、スタジオジブリ=宮崎駿監督が掲げる理念「子どもが楽しめる」アニメーション映画を制作するというのは、どれほど大変なことなのか、ということにあらためて気づかされたエピソードです。

そんな宮崎駿監督をみた鈴木敏夫プロデューサーがある人物に声をかけて、瀬戸内にある港町を紹介されたようです。

 



崖の上のポニョの舞台は?|風光明媚な景色の「鞆の浦」

宮崎駿監督の心を癒す場所として、鞆の浦を紹介した方は、

大西 健丞(おおにし けんすけ)さんで、広島県に本部がある特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン 代表理事を務めている方です。

日本に限らず世界33カ国の地域で支援活動を行っている国際NGO。これまで東日本大震災の被災地で数々のジブリ作品を上映するなどスタジオジブリとの繋がりが深い団体です。

大西さんは、鈴木敏夫プロデューサーから"(宮崎駿監督が)精神的に疲れているので、風光明媚な場所を紹介して欲しい"との依頼を受け、崖の上の一軒家を紹介したそうです。

 



崖の上のポニョの舞台は?|宮崎駿監督の心が癒された場所

広島県福山市鞆の浦の"崖の上の一軒家"に2ヶ月半滞在した宮崎駿監督。ひとり、炊事・洗濯など日常生活を繰り返しながら、ゆっくりと心を癒していったようです。

宮崎駿監督は、毎日毎日同じことの繰り返しが大事とおっしゃいますよね。

単純に「そうですよね」と返事しそうですが、実はとても深いことだと感じています。

そんな人としての大事なメッセージも、子どもたちの心の奥に届くような作品に仕上げる宮崎駿監督って、ほんとファンとしては涙が出るほど嬉しい気持ちです。

 

そして滞在中は、よく散歩に出かけたようです。

https://twitter.com/tts0809/status/1126072756204818432?s=21
ゆっくりとタバコを吸いながら、ひとり時間を過ごしている宮崎駿監督の姿が浮かぶようですね。




そして、宮崎駿監督は、ひとり生活を続ける中で、家族へ心配をかけないように"生存確認"として、毎日絵手紙を奥様へ送っていたというエピソードも語っています。

鞆の浦滞在中のお話については、ジブリ汗まみれ podcast(崖の上のポニョ公開記念スペシャル)で詳しく聞けますのでぜひ!

 

いかがですか?ぜひ鞆の浦に行ってみたいという気持ちになったのではないでしょうか?

スタジオジブリ非公式ファンサイト「ジブリのせかい」さんが、動画で鞆の浦を訪れた様子を紹介されています。ぜひジブリ旅を味わってくださいね!

 



『崖の上のポニョ』の舞台がなぜ鞆の浦なのか?まとめ

・『崖の上のポニョ』の舞台が鞆の浦なのは社員旅行で訪れたことがきっかけ
・宮崎駿監督が滞在した崖の上の一軒家を紹介したのは国際NGO代表理事の大西健丞さん
・宮崎駿監督の疲弊した心を癒すことができた鞆の浦は、風光明媚な港町。

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