『もののけ姫』はそのタイトルの通り、さまざまなもののけが登場します。
その中でも特に興味深いのは、あのゴリラのような生き物、猩々(しょうじょう)ではないでしょうか。
山犬のように気高いイメージではなく、現状への不満でいっぱいの猩々(しょうじょう)。
彼らは何者で、作品中でどのような意味を持っているのか?とても気になるところ。
今回は猩々(しょうじょう)について掘り下げていきたいと思います。
では一緒に見ていきましょう!
『もののけ姫』 猩々(しょうじょう)とは?その正体
猩々とは古くから中国や日本に伝わる架空の動物で、オランウータンの和名でもあります。
古くから伝わる架空の動物としての猩々は姿形がその地域によっては豚のようであったり、色も赤であったり黄色であったりとさまざまです。
「古くから伝わる架空の動物」と和名に使われているオランウータンの見た目を掛け合わせて、宮崎駿監督による『もののけ姫』の「猩々」が生まれたのではないかと思われます。
森に棲む"もののけ"たちは他の種族の"もののけ"を敬いながらも、その種族との上下関係はあるようです。
モロ率いる山犬の一族とのやりとりから察するに、猩々はその中ではあまり高い地位ではないように感じられます。
しかし、高い地位ではないものの、自ら森に木を植え続けるような知能と技術を持ち合わせる賢さを持ち「森の賢者」と謳われる存在でした。
しかし、彼らは真っ暗闇の中で赤い目を光らせ、サンたちに遠くから石を投げつけるという卑怯な行動をしてしまいます。
さらには、人間の力を得るために人間を食べようとするという浅はかな考えを持ち始め、猩々たちは既に心を病んでしまっていることが分かります。
猩々たちの存在は、森は外部からの侵食と攻撃により内部のバランスも崩れつつある森の現状を示唆するもののように感じられます。
『もののけ姫』 猩々たちとサンとのやりとりは?セリフを検証!
猩々たちの声は、だいぶくぐもっていて作品を鑑賞しながら「何と言っているのかな?」と思われた方も多かったのではないでしょうか。
今一度猩々たちのセリフをおさらいしてみましょう。
(山犬)「猩々ども 我らがモロの一族と知っての無礼か?」
(猩々)「ここは我らの森。その人間よこせ。人間よこしてさっさと行け。」
(山犬)「失せろ わが牙が届かぬうちに・・・。」
(猩々)「行け 行け。」「俺たち 人間 食う。」
「その人間 食う。」「その人間 食わせろ。」
(サン)「猩々たち!森の賢者とたたえられるあなたたちが
なぜ人間など食おうというのか」(猩々)「人間 食う 人間の力 もらう。人間やっつける力 欲しい だから食う。」(サン)「いけない!人間を食べても人間の力は手に入らない。
あなたたちの血が汚れるだけだ猩々じゃなくなっちゃう。」
(猩々)「木 植えた 木 植え 木 植えた。皆 人間 抜く 森 戻らない 人間 殺したい。」
(サン)「私たちにはシシ神様がついてる 諦めないで木を植えて。
モロの一族は最後まで戦うから。」
(猩々)「シシ神様 戦わない わしら 死ぬ。山犬の姫 平気 人間だから。」
(山犬)「無礼な猿め その首 噛み砕いてやる!」
(猩々)「怒った〜。」
(サン)「猩々たち!」
(猩々)「お前たちのせいだ。お前たちのせいで この森 終わりだ。」(サン)「何を言う!森のために戦った者へのこれが猩々の礼儀か!?」
(猩々)「お前たち 破滅 連れて来た。生き物でも人間でもない者 連れて来た。」
(サン)「生き物でも人間でもないもの・・・?」
(猩々)「来た〜!森の終わりだ!」
いかがでしょうか、
猩々たちなりの不満、卑屈さが言葉の端々から感じられる会話ですね。
猩々たちは、自分たちで木を植え続けていることからも分かるように、コツコツと正しいことを続けられる真面目さを備えています。
一見すると卑屈な性格のようですが、サンの言葉からもわかる通り、元々はとても賢明な種族でした。
しかし、森のために木を植えているはずが、まるで人間のために木を植えているような、自分たちの労働に対して不満を持ち始めます。
働いても働いても邪魔をされるため、自分達の大切な仲間であるはずの山犬やサンまでにも攻撃的な態度や言動をしてしまいます。
猩々たちのような鬱屈とした怒りの感情を持ち続けた"もののけ"は、殺されるときにタタリ神になってしまうのかもしれません。
こういった負の感情は、自らをも蝕んでしまうということが分かりますね。
健全な精神を保ち続けることは容易いことではないことを示しているように感じます。
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『もののけ姫』猩々の声を担当しているキャスト声優は?
最初にお話ししたように、猩々の声はくぐもっていて、何を考えているか分からない怖さのある声ですよね。
どなたがこの猩々たちの声を担当していらっしゃるのでしょうか。
猩々の声を担当されたのは名古屋 章(なごや あきら)さんです。
『もののけ姫』では牛飼いの頭の役も担当されています。
とてもベテランの俳優・声優さんで、昭和から平成にかけて映画やテレビドラマで大活躍されました。
『ウルトラマンタロウ』の朝日奈隊長役やひょっこりひょうたん島のドン・ガバチョの声は印象に残るキャラクターです。
また『トイ・ストーリー』シリーズのMr.ポテトヘッドの吹き替えを担当され、長年名わき役として活躍されていました。
2003年に肺炎でお亡くなりになるまでずっと現役で活躍されました。『もののけ姫』は隅々まで素晴らしい声優さんが参加されていることがわかりますね。
『もののけ姫』猩々について|まとめ
かつては「森の賢者」と謳われた"もののけ"猩々について、いかがでしたでしょうか。
どんなに賢いものであっても、環境で変わってしまうことはよくあること。
正しい行動もある時すべて意味がなかったのではないか?と猩々たちは卑屈になったのでしょう。
そして、自分達を支えてくれた存在にまで攻撃的になってしまう心情は、ある意味とても人間的で共感してしまいますよね。
完璧な世界であるように見える森は、よい環境の上に成り立っている。
そして、負の刺激によってその完璧なバランスは揺らいでしまう、ということを猩々たちから感じます。
これは私たちの実生活でも様々な場面で当てはめて考えることができるのではないでしょうか。
社会生活や家庭において、他者やときには自分が、猩々のような考えになってしまうこともあるかもしれません。
そうなってしまったとき、どう向き合っていけばいいのか?というヒントが、
猩々たちについて考えることで見えてくるように思います。
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