1995年7月に公開された映画『耳をすませば』
どちらかといえば、ジブリ作品は"子ども向け"というイメージがありますが、この作品は、中学生が主人公の物語。
これから自分はどう生きたいのか?しっかり見つめようとする女の子が"ココロの成長"を遂げながら家族・進路・恋愛など、さまざな心の揺らぎを受けて成長していく姿を描いた物語。
私はいつも、主人公に自分の子どもの姿を投影してしまい(汗)、なみだを流しながら観ております(笑)。(親ごころ全開!)
そして「どうして泣くの?ここ泣くところかな?」と隣にいる子どもに突っ込まれています(笑)。
これまで、テレビで10回以上放送された本作品は、いずれも視聴率が11%以上と相変わらずの人気ぶりです。
人気の理由は?と考えてみましたが、
私はこの映画に、いつも"なつかしさ"を感じます。日常のどこにでもある風景を感じながらストーリーが展開されていくことで、自分のこれまでの記憶が呼び起こされ、匂いまでも感じさせてくれる気がしています。
そんな映画『耳をすませば』の舞台となった街や、いつ頃の年代を描いたものなのか?、原作との違いやキャスト声優についても調べていきます。
耳をすませばの舞台となった街はどこ?
映画『耳をすませば』は、読書好きな中学3年生(14歳)月島雫(つきしま しずく)が主人公の物語。
街の様子や電車のある風景、図書館へ向かう坂道など、少女の心の成長を描きながら、映し出される街並みは、どこか懐かしさを感じさせる風景ですよね。
スタジオジブリが映画『耳をすませば』で"大いに参考にした場所"として挙げているところが、
東京都多摩市にある、京王線の聖蹟(せいせき)桜ケ丘駅周辺です。
駅周辺から、主人公・月島雫の暮らす多摩ニュータウン(愛宕地区)の周辺シーンには、実在するお店などが描かれていることもあるようです。
この物語で印象的なもののひとつに『図書館』があります。
実はこの図書館、多摩市には実在しないようですが、図書館に向かう坂道(いろは坂)のモデルとなった場所は実在しています。映画で図書館の場所となっているところは公園になっています。
もうひとつ、雫が慌ててお父さんにお弁当を届けるシーンに傾斜がキツく長い階段が登場しますが、その階段も実在しますよ!
雫の気持ちになって、長い階段を降りて公園でひと休み!なんていいですね。
ファンのあいだでは『耳すま』と呼ばれてますが、そんなファンが"聖地"として街を巡る人気スポットをひとまとめにした、"散策マップ"を多摩市が作成しています。
市が積極的に"聖地巡礼"をサポートしてくれているなんて、嬉しすぎです!
そして、この京王線・聖蹟桜ヶ丘駅の「発車ベル」はなんと!映画『耳をすませば』の主題歌「カントリーロード」が使われています。
映画が「街おこし」のひとつとされているなんて、さすがジブリですね!
耳をすませばの舞台|キャスト声優には子役時代のあの俳優が!
映画『耳をすませば』のキャスト声優で、あの俳優さんが出演しているのです!
高橋一生(たかはし いっせい)さんです。
主人公・月島雫の友達で、天沢聖司(あまさわ せいじ)役を務めました。
高橋一生さんは1980年生まれ、映画『耳をすませば』の公開が1995年なので、15歳のときの出演となります。そりゃあ声を聞いて高橋さんだとは気が付かないですよね。
メディアでお見受けするようになったのは20代中頃と記憶していますが、子役時代は劇団に所属していて10歳のとき『ほしをつぐもの』(1990年公開 ビートたけし主演)に映画初主演されています。
そしてこの『耳をすませば』は、実写化が発表されているのですが、なんとファンからは「耳すまの実写化はやめて!」なんて声があがっているのです。
くわしくはこちらをご覧ください。

主人公・月島雫のキャスト声優を務めたのは、本名陽子(ほんな ようこ)さんです。
おもにプリキュア(キュアブラック役)や吹き替えなどで活躍されている声優さんですが、
ジブリ作品では、
『おもひでぽろぽろ』(岡島タエ子:小5年時)
『猫の恩返し』(チカ)
などに出演されていて、スタジオジブリには馴染みのある方です。


ジブリ作品では、俳優やタレントをキャスト声優として起用する例が多いと言われていますよね。
たしかに多い!
しかし、宮崎駿監督としては積極的に起用するというつもりはないようで、"作品のキャラクーに合う声を探しているだけ"とのこと。
ジブリ作品の出演をきっかけに、声優として活動領域を広げている俳優・タレントさんも多いですよね。
あらためて、宮崎駿監督や高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーはじめとしたスタジオジブリの"先見の明"に驚きます。
耳をすませばの舞台|年代設定はいつ頃なの?
観ていて"なつかしさ"を感じさせる『耳をすませば』ですが、いつ頃のお話しなのでしょう?
公式に"いつです"という、はっきりとした年代は示されていませんが、
映画『耳をすませば』の公開が1995年です。
そして原作が連載されたのが1989年-1990年です。
映画の制作期間が約1年3ヶ月ですので"1993年あたり"といえますが、当時をご存知の方は、どことなくそれよりももっと前のような気がしませんか?
製作に携わっていた宮崎駿監督が、当時の多摩市の風景をみて「ビルが立ちすぎている」という理由から物語の設定を10年前に戻したともいわれています。
なるほど!それを聞くと納得しますね。
私が、特に時代を感じたシーンが、小説を書くために受験勉強を後回しにしている雫に対し、良き理解者でもあるお父さんが雫へ向けたセリフです。
人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにもできないからね。
えっ?"人と違う生き方"がしんどい?って人と一緒の生き方を推してるの?と。
"一生懸命に勉強して、いい大学に入って、有名企業に就職する!"
たしかに当時は、それがなにより美徳とされていた時代でした。
しかし、これはジブリ作品!なにか訴えるものがあるはず。と私なりに考えてみたのですが、
世の中はバブル全盛期。しかし主人公は周りに流されることなく、小説を書けるのか?"自分で自分を試す"ということに全精力を注ぎます。
それは、お金が舞踊っている時代にもかかわらず"地に足をつけた生き方"をするべきなのでは?との問いかけられているように感じました。
実際バブルは弾け、今は人と同じような生き方では食べていけないような世の中になっていることを考えると、時世にあわせたメッセージをアニメに投影するジブリ作品の奥深さを感じますね。

耳をすませばの舞台|原作との相違点が多い?
すでに、原作を読んだ方は、映画をみて違和感を感じるかもしれませんが『耳をすませば』の映画化は、どうやら宮崎駿監督が姪の読み終えた少女漫画雑誌に掲載されていた原作を読んだことがきっかけだったようです。
そこからさまざまなストーリーを広げていき映画『耳をすませば』のストーリーが出来上がったんだとか。
ジブリ作品の特徴であるメッセージ性という観点から、原作にはないストーリーを宮崎駿監督や鈴木敏夫プロデューサーなどと話し合っていったという経緯があるようです。
原作と相違する点が多くなったとはいえ、原作者である柊あおいさんは、宮崎駿監督の大ファン!映画化をおおいに喜んだようです。
この映画『耳をすませば』の監督は、これまで高畑勲監督の『火垂るの墓』や宮崎駿監督の『魔女の宅急便』などで両氏を支えてきた、近藤喜文(こんどう よしふみ)さん。それまで、キャラクターデザインや作画監督をやっていましたが、高畑・宮崎両監督の推薦で劇場用長編アニメーションの初監督を務めました。
根強いファンも多い『耳をすませば』。ぜひご覧になってジブリの世界を広げてみませんか。
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