『耳をすませば』がエモいってホント?その理由は?【画像あり】

耳をすませば
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『耳をすませば』はエモい!と表現され根強いファンが多い作品。青春のピュアなラブストーリーという印象ですよね。

キュンキュンして観ちゃう!中・高生に戻って観てみたい気分!エモい画像を壁紙にしたい!などのツイートが目立つのも、この作品の特徴です。

では、どんなところが"エモい"のでしょうか?

今回は『耳をすませば』がエモい!と語られる理由について迫りたいと思います。

数年前に学生だった方、もう自分の学生時代がいつだったかも思い出せない方(笑)さまざまな捉え方で"エモい"が表現されているようです。

"恋愛もの"と一言では言い表せないほど、心に染みる作品のようですよ!

では一緒にみていきましょう。







『耳をすませば』がエモい理由は?|誠司の長いながい片想い

『耳をすませば』でキュンキュンする!との印象を持っている方は、やはりあのジブリきってのイケメン"天沢聖司"くんの雫に対する長い長い片想いに心を寄せる方が多いのではないでしょうか?

図書カードに自分の名前を残すことで相手に気づかせるなんて、なかなか思いつかない手法(?)ですよね。

"私もそんなアピールされたい!"と思う女子が多そう(笑)。

劇中では、雫が図書カードを目にするたびに"天沢聖司"の名前を見つけるシーンから始まっていますが、雫が手にとる本ほとんどを聖司が読んでいたとすると、

"聖司はいったいいつから、雫のことが好きだったの?"と、想像しただけでエモい気持ちになってしまいます。

世の中の女子が、聖司のようなアピールの仕方で想いを打ち明けられたらどうしよう!と心がハートマークになってしまうのも『耳をすませば』に根強いファンが多い理由のひとつなのでしょうね。

 

私はちょっと(笑)、自分のキュンキュンする気持ちに捜索願いを出さなければならないほどの状況なので、心がハートマークにはならないのですが(笑)

逆に、聖司は雫に声をかけてもいないのに、本を読んでいる姿だけで?心を奪われたってことに、とても凄さを感じてしまいました。

人間ってなんとなく惹かれる人っているもんですからね、聖司の"感性"で雫が心にピッタリハマったってことなのでしょう。

心澄ませて人を見ることができる聖司って素敵です。


『耳をすませば』がエモい理由は?|杉村をめぐる件について

『耳をすませば』は、天沢聖司と月島雫、二人の恋愛模様にスポットがあたりがちですが、野球部の杉村の恋についても、なかなか目が離せないエモさがあります。

ネットでは、聖司と雫より杉村がんばれ!の声も多いんですよね。

聖司とはまた違った、杉村のような男子はどんなことがきっかけで雫に心を奪われるのでしょうね。

劇中の二人で交わす言葉のキャッチボールはとてもテンポが良く気持ちがいいです。

テスト後の会話でも、杉村がイメージするような返事を雫がいつもしているんだなぁと感じさせます。

そんな日常を繰り返すことで、杉村は雫の魅力に取り憑かれていったのでしょう。

 

杉村に思いを寄せる親友の夕子に対する雫の気持ち。
杉村が夕子の気持ちに気づいていないことをヤキモキする雫。
そして、杉村からの思わぬ告白を受ける雫。

この構図がなんとも青春ですよね!

昔を懐かしみドキドキしながらこのシーンを観てしまいました。

好きだけど友達以上ではないとの雫の返事に対し、杉村はどんな気持ちだったでしょう。

「好きだけど、うまく言えないってなんだよ!」(と勝手に杉村ココロの声を代弁)。

しかし、私はこの杉村の手の離し方に、男らしさを感じました。(いいぞ!杉村カッコイイ)

ちなみに、杉村と夕子がその後どうなったから、エンドロールを観るとわかりますよ。


『耳をすませば』がエモい理由は?|薄れゆく自己肯定感

杉村からの思わぬ告白で「バカ!にぶいのは自分じゃないか」と言いながら心が沈んでゆく雫。

本を読んでも以前のようにワクワクしないとか、素直じゃないとか、何をやってもうまくいきっこないって心の中ですぐ誰かが言うんだよね・・・など、どんどん落ち込んでいく様子が伺え、もう誰にも止められない状況です。

そんな思春期特有の心の揺れを『耳をすませば』は、雫のひとつひとつの動作にしっかりと投影させ、表現しているんですよね。

何度も繰り返し観たくなるポイントは、そんなところにあるように感じます。

大人になる準備期間ともいえるこの中学・高校時代は、ある程度世の中が見えてきている部分もため、諦めたり、頑張ったり、考えの浮き沈みが多い時期でもあります。

「自分はなんてバカなんだろう」と落ち込む雫に"大きくジャンプしたいなら、しっかりしゃがまないと飛べないよ!"落ち込むことも無駄じゃない!とエールを送りながら、いつもこのシーンを観ています。


『耳をすませば』がエモい理由は?|カントリーロードの演奏

聖司のバイオリンに合わせて雫が歌い、そこに聖司の祖父である西司朗をはじめとしたオジさま方が演奏に加わり楽しい時間を過ごすあのシーン、とっても印象的ですよね!

雫の落ち込んだ気持ちを上向きにしてくれるきっかけを作ったシーンです。

このとき、西の友人のひとりである北というオジさまが「聖司くんにこんなかわいい友達がいたとはねえ。」と語ったことで"聖司"と知る雫。

この演奏シーンでお互い心が通い合ってから"天沢聖司"だと気づく、このストーリーもまたエモいです。

(ちなみに、北というオジさま[右端の方]の声は、鈴木敏夫プロデューサーが担当されました!)

ずっと雫に片想いだった聖司の気持ちを考えると、なんだかこちらまで嬉しくなる良いシーンです。

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『耳をすませば』がエモい理由は?|聖司の夢に涙!雫の気持ち

両親を説得し、やっとイタリアに渡ることができる聖司に対して、涙してしまう雫。

とうとうこのシーンで私も泣きました。

なんとも言えない気持ちなんですよね、このときの雫の気持ちって。これこそエモいです。

自分よりずっとがんばってるやつにがんばれなんて言えないもん…。とのセリフからもわかるように、

自分のことを聖司と比べてしまう。
結果、聖司はどんどん自分の夢に向かって突き進み、ますます離れていってしまうのでは?との不安。
そんな志高い人が自分に好意を寄せてくれているのに、いったい私は何やってんだ・・・。

もう、さまざまな気持ちが心の中をグルグルしているだろうと思うと、雫の涙のシーンでとても胸が締め付けられる思いがしました。

やがて、自分の才能を確かめにいく聖司を見て、自分も物語を書くことを決めた雫。

このお互いを尊敬し合う気持ちは、男女に限らず職場や家庭、どんなシーンでも必要なことですよね。

尊敬しあえる関係だからこそ二人で人生を歩んでいけるのだと信じています。


『耳をすませば』がエモい理由は?|やってみなきゃ気づかない

やっと書き上げた物語を、西に読んでもらっている最中の雫も、エモいシーンではないでしょうか。

寒いからと心配していた西に対し「下の部屋で待っていてイイですか」と、要するに聖司がバイオリンを制作していた部屋で待ちたい!聖司がそばにいてくれているような気持ちで待ちたい、との思いからそんな行動に出たのかと思うと、キュンとするやら、せつないやら。

ダメなことはわかっているんです!と堰を切ったように話す雫。

自分の気持ちばかりが先行してまとまらない作品になってしまったことや、そんな程度の作品しかできないという自分への嫌悪感、誠司に対する申し訳なさのような気持ち。

私が雫の凄さを感じたのは、物語を書いたことで"自分は勉強が必要なんだ"ということに気がついたコトです。

しっかりとしゃがんだだけあるぞ!雫。そこに気がつくとは大きくジャンプできているではないか!とエールを送りながら涙していた私です。

私の中では、雫が受験勉強よりも物語を書くことを優先させた結果、得られたものがあまりに大きいという点が一番エモいと感じています。


『耳をすませば』がエモい理由は?|大事なものの共有

イタリアから帰国した聖司が、一番先に雫に見せたかったものが、自分が大事にしている景色でした。

そんな大事なものを共有したいと感じる気持ちって、やはりエモい。

その他、自転車で雫を乗せたまま坂を登り切る!とか、そんなお荷物ばかりじゃイヤ!と語る雫。

この二人の関係が、あまりにベストすぎます!

そして朝日を浴びながらのプロポーズ。





ほんっと、青春っていいですよねぇ!

『耳をすませば』がエモい理由は?|まとめ

『耳をすませば』がエモいといわれる理由
・片思いの聖司が、雫に自分の存在を気づかせるための手段(図書カード)
・聖司と雫ふたりがお互いをリスペクトしながら高め合う関係
・まだ"自分"が定まらない思春期の心の揺れの描写がとても丁寧 などなど



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