『風立ちぬ』菜穂子は計算高い女だから嫌いと言われるのはなぜ?

風立ちぬ
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『風立ちぬ』の菜穂子がネット上で"嫌い"の声があがっているのは"計算高いから"という理由らしく"菜穂子推し"の私としてはちょっとビックリしました。

どんなところが"計算高くて嫌い"と思われているのか?とても気になったので、さまざまなシーンを振り返りながらと深掘りしてみたいと思います。




『風立ちぬ』菜穂子は計算高くて嫌い!そもそも名前の読み方や年齢は?

『風立ちぬ』のヒロイン、里見菜穂子のプロフィールをご紹介します。

名前の読み方は「さとみ なおこです。なほこ?と思われていた方も多くいることでしょう。

菜穂子は、東京の資産家の令嬢で絵を描くことが趣味でした。

二郎と菜穂子の出会いは、1923年の関東大震災の時でした。その時菜穂子は13歳。

のちに軽井沢で二郎と再会するのはその10年後の1933年なので、菜穂子は23歳です。

菜穂子には実在するモデルがいた

実は、菜穂子には実在したモデルがいました。

矢野綾子さんという方で、結核により24歳で亡くなられています。

矢野綾子さんは、小説「風立ちぬ」の作者である堀辰雄さんの婚約者でした。

小説のヒロイン名は「節子」ですが、映画『風立ちぬ』のヒロイン名は、堀辰雄さんの小説『菜穂子』が由来と言われています。



『風立ちぬ』菜穂子は計算高い!嫌いとの声が多いのはなぜ?

菜穂子が計算高い!という声が多いのは、二郎を自分のほうへ振り向かせようとする健気な行動が"計算高い"から嫌いと言われているようです。

ここで、おやっ?と感じませんか。

もともと堀越二郎と里見菜穂子の恋愛を描いているのが『風立ちぬ』と思われている方が多いと思います。

しかし、菜穂子について"嫌い"や"計算高い"との声があがっている大きな理由は、二郎が想いを寄せていたのは、菜穂子の侍女である"お絹"であるという考え方からきているようです。

侍女のお絹とは、菜穂子と二郎の出会いのシーンで一緒にいた和服の女性です。

彼女は関東大震災のときに足を負傷しましたが、混乱のなか二郎の看護を受け無事に里見家まで送り届けてもらいます。

その後、お絹の看護のために使った二郎のシャツと計算尺がじろうの元へ届くのですが、そのとき二郎の脳裏に浮かんだのは、菜穂子ではなくお絹だったのです。

二郎がお絹を思い出して外へ走っていくシーンはとても印象的です。

飛行機のこと"しか"考えていないような二郎のイメージを変えたシーンであり人間味を感じました。

関東大震災のシーンは、当時を知らない私としては緊張感を持って観ていました。

震災直後、列車に乗っていた人々は身の危険を感じ慌てている様子が描かれていますが、そのときの二郎の行動はとても冷静で的確な処置と行動が、お絹と菜穂子に強烈な印象を与えたことは間違いないですね。

このとき、二郎に心を奪われたお絹と菜穂子ですが、二郎はお絹のことを思っていたなんて!

しかしこのことは、公式に示されていることではないので、私としては二郎と菜穂子が出会った瞬間から、お互い心惹かれるものがあったと願いたいですね。

でも、当時20歳の二郎と13歳の菜穂子ですから、お絹に思いを寄せていたのは当然のことといえばそうなのかもしれません。

そんな、純粋な気持ちで二郎をおもっている菜穂子に対し"計算高い"とか"嫌い"などとの声があるのは、とても残念に感じます。



『風立ちぬ』菜穂子は計算高くて嫌い!結核という病が彼女をそうさせた?

菜穂子は結核を患っていました。自分の余命を承知していたと予想されます。

美しく聡明な菜穂子ですが、やはり自分の限りある命の終わりを考えたとき、愛する人と人生を共にしたいと思うのは自然な気持ちなのではないかと推測されます。

二郎の心はお絹の方にあると思っている菜穂子は、軽井沢で二郎と再会する際に"あざとく"計算ずくでじろうの気持ちが自分へ向くように仕向けていると言われています。

本当にそうなのでしょうか。

もしその"計算高くあざとい"考えが菜穂子の本心だったとしても、美しい菜穂子に二郎が心を奪われたことは事実、偽りのない気持ちだと思います。

そうなれば、結果から見てもそれは"あざとい"ではなく"人を愛することに必死だった"ということなのだと解釈したいですね。



『風立ちぬ』菜穂子は計算高くて嫌い!山へ帰る行動は死を予感していた?

二郎と結婚し、菜穂子にとってはあこがれの二人での生活がはじまりましたが、菜穂子の病はますます進行していきました。

そして、自分の死期を予感したのでしょうか、黒川夫人へ「散歩に」と嘘をついて自ら家を出ていきました。

この行動は、療養所がある山へ帰ったのか?はたまた自殺をするためなのか?といろいろな憶測があるようですが、菜穂子が出て行ったことを知ったとき黒川夫人は、二郎の妹へ"菜穂子を連れ戻すことをやめなさい"と語っています。

また二郎の妹が、療養所へ帰るなら乗らなければならないバスに乗らず、歩いていた菜穂子を目撃しています。

この描写から、やはり黒川夫人の語った"美しいものを求める二郎"に対して、もうこれ以上自分の病に冒された姿を見せることはできない!と考えたことも十分考えられますね。



『風立ちぬ』菜穂子は計算高くて嫌い!「来て」のセリフが2回ある!?

菜穂子が二郎に「来て」と語るシーンがあります。

それは結婚した日の夜、布団に寝ている菜穂子が二郎に対して語っています。

菜穂子の体を気遣う二郎をよそに、菜穂子がハッキリ「来て」と伝えるシーンはとても印象的です。

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劇中で菜穂子が「来て」と語るシーンは1回なのですが、もう一度「来て」と語っているシーンがあるとのことで調べてみました。

それは、ラストで菜穂子が二郎に向かって「生きて」と語っているシーンです。

宮崎駿監督の構想では当初、このシーンでのセリフは「来て」でした。

それが鈴木敏夫プロデューサーたちとの話し合いで「来て」から「生きて」に変更になったという経緯があるようです。

このシーンではすでに菜穂子はこの世を去っていることでしょう。

その菜穂子から「来て」と言われたらちょっとビックリですよね。

「いきて」1文字違いで全く逆の意味になったわけですが、このことについて二郎のキャスト声優を務めた庵野秀明さんも、当初は「何じゃこの映画は!」と思ったようです。

その後宮崎駿監督と話し合いを重ね「生きて」となったことを絶賛、この思いを映画の完成報告会見の時に語っています。

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『風立ちぬ』菜穂子は計算高くて嫌い!まとめ

・二郎が菜穂子との出会いのシーンで心を奪われたのは侍女のお絹だった。
・二郎のお絹への想いを自分に向けるための菜穂子の手段があざといから計算高いと嫌われている。
・それは、自分の命の終わりを悟った菜穂子の必死の行動だったのでは。
・ラストシーンの「生きて」は当初「来て」だった。



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