トトロのおばあちゃんの方言だと舞台は何県?時代設定はいつごろ?

となりのトトロ
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『となりのトトロ』の世界は、どこか懐かしいと感じさせる風景が多いですよね。

映画の序盤に出てくる"オート三輪"を、我が家の子どもは珍しそうに観ていたことを覚えています。

トトロの舞台となった土地はどこなのでしょうか?

今回は、いまや知らない子どもはいない「あ-る-こー♪あ-る-こ-♪」でおなじみ『となりのトトロ』のモデルとなった街についてお伝えします。



『となりのトトロ』の舞台となった街は何県?

公式サイトでは、埼玉県所沢市近郊となっています。

埼玉県所沢市は、原作脚本を手がけた宮崎駿監督がお住まいの街で、ご長男が3歳のときに所沢へ転居しました。その後、二人目の息子さんが生まれ、宮崎駿監督にとって所沢市は子育てをした街でもあるんですね。

映画『となりのトトロ』は、埼玉県所沢市と東京都東村山市にまたがる「狭山丘陵」一体がモデルとされています。

"松郷"という地名は、所沢市に存在しているのですよ。そして、おかあさんが入院していた"七国山病院"のモデルとされている病院も"八国山緑地"の近く、東村山市に存在しています。

 

また、メイがとうもろこしを抱えながら泣いていた、六地蔵もありました!

 

このあたりは、1980年代に開発計画が持ち上がり、それに反対する市民団体が宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーに呼びかけをし、1990年に「トトロのふるさと基金」が発足しました。

そして、その基金により狭山丘陵の自然環境が守られています。

1991年に「トトロの森1号地」が作られ、2019年5月までに51カ所の「トトロの森」が確保されています。

宮崎駿監督は「公益財団法人 トトロのふるさと基金」の顧問を務めていますが、こちらのサイトではグッズや書籍の販売もしています。

どれも可愛らしい、欲しくなるものばかりですが、購入代金の一部が「トトロの森」を守るために使われると思うと嬉しくなりますね。



宮崎駿監督が考える、子どもにとって大事なもの

宮崎駿監督がインタビューで語っている記事をみると、よく"今の子どもたちはかわいそうだ"なんてことを目にするのですが、現代に生きる子どもたちを憂いているんですよね。

裏を返せば"昔はよかった"ということなんだなぁ、と。

私は「トトロの森」を保護するために宮崎駿監督が尽力していることを知り、あらためて、自分が子どもの頃(半世紀!?)と、現代を生きる我が家の子どもとの環境の違いに思いを深くしました。

暗くなるまで、外で遊ぶ。

雑木林で遊び、美味しそうな実や葉があったら食べてみる。

舗装されていない道の轍に、自転車のハンドルが取られ転ぶ。などなど

数えたらキリがないですが(笑)、私が育った環境を子どもに体験させようとしても、今はなかなか難しいものばかりですよね。なんだか寂しい気がします。

さいわいに、我が家の子どもが通った幼稚園では"とにかく思いっきり遊ばせる"という教育でした。

"子ども同士思い切り遊ぶ"という経験の積み重ねが、人間の土台を作っていくという教育方針に共感しました。おかげさまで、木登りは上手になり、触れなかった虫も触れるようになり、木々に目をむけ季節の変化を口にするようになりました。

宮崎駿監督は、これからを生きる子どもにとって何が一番大切か?というメッセージを『となりのトトロ』に込めているように感じました。

この「狭山丘陵」はホントにトトロに出会えそうな森ですよね。

映画のシーンを思い出しながら、森を散策してみてはいかがですか。


『となりのトトロ』の時代設定はいつ?おばあちゃんの方言もイイ!

『となりのトトロ』の時代設定は、昭和30年代前半といわれていますが、正確には昭和28年のようです。

宮崎駿監督は当初、昭和30年代前半をイメージして作画作業に入ったようですが、その後のインタビューで、ご本人が「テレビのない時代」と語っています。

 

映画『となりのトトロ』を観て、子どもはどんなことを感じるのでしょう?

トトロに会いたい!なんて感情が一番だとは思いますが、一緒に観ている親としては、子どもに戦後の日本暮らしぶりを観てもらいたいなぁと感じています。

ちょっとしたシーンでも、当時の子どもはよくお手伝いをしたんだなぁ、ということが伝わりますよね。

こちらの井戸(懐かしい)。井戸水はとても冷たくて美味しい!

「ちめたくなるまでー(冷たくなるまで)」

カンタのおばあちゃんの方言も、なんだかほっこりです。

おばあちゃんと3人で、お野菜を冷やしているシーンが思い出されます。

イマドキの子どもは、このポンプパコパコに興味津々ですよね!

我が家の子どもも以前、愛知の愛・地球博記念公園の「サツキとメイの家」へ行ったとき、ポンプを見るなり「やりたいっ!」と、や大喜びでっていたことを思い出します。

ちなみに現在「サツキとメイの家」は、2022年オープンの「ジブリパーク」に移転するため、現在は行くことができないのです。

「サツキとメイの家」は、とても細部にこだわって作られたもので、当時見学は予約制でした。

ジブリパークの情報は、こちらをご覧くださいね

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まとめ

・トトロの舞台は、埼玉県所沢市近郊、所沢市と東京都東村山市にまたがる「狭山丘陵」
・"松郷"は実在の地名。
・"七国山病院"は"八国山緑地"付近にある病院がモデル。
・メイが泣きながら座り込んでいた"六地蔵"が実在する。
・時代設定は昭和28年。宮崎駿監督は製作当初、昭和30年代前半とイメージしていた。



コメント

  1. 村上晶 より:

    お母さんの入院している病院の壁に貼ってあるカレンダーを見ると昭和33年(1958年)ではないかと思われます。
    7月、8月。

    • 桜でんぶ 桜でんぶ より:

      村上晶 様
      当サイトにご訪問くださりありがとうございます。

      『となりのトトロ』の時代設定について一般的には、昭和30年代前半と言われているので、
      病院のカレンダーが昭和33年であることも、うなずけますよね。
      私も当初はそう思っていました。
      そして、
      たしかに当初は「昭和30年代初期」として映画製作が進んでいました。

      ところが、調べていくと、
      2011年公開『コクリコ坂から』のパンフレット
      "企画のための覚書「コクリコ坂から」について 「港の見える丘」"において、
      宮崎駿監督が次のように語っています。

      "「となりのトトロ」は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である。"

      また「ジブリの教科書3 となりのトトロ 」(文春ジブリ文庫)では、
      「昭和30年代初期というのは、実は嘘で・・・」と、宮崎駿監督のインタビューが掲載されています。
      (Part2監督が語るトトロの世界 P.73 舞台設定と家の話)

      さまざま情報があると混乱を招くと思い、宮崎駿監督が語った内容をもとに記載させていただきました。

      お母さんの病室やお父さんの書斎など、カレンダーはさまざまシーンで登場しますがそれぞれ違っています。
      年代の設定ひとつを取っても、ジブリの世界は興味深いものばかりですね。

      各シーンでの年代の違いについては、こちらのサイトでも詳しく紹介されています。
      https://ghibli.jpn.org/trivia/totoro-era/

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