ジブリの大人気映画『耳をすませば』は、素敵なラストシーンで終わりを迎える作品です。
でも驚くことに、原作漫画は途中で連載終了、打ち切りとなったのです。
なぜなのか、理由が気になりますね。
今回は、
打ち切りとなった理由
漫画と映画の違いや結末
その後どうなったのか
これらについて、くわしくお伝えします。
『耳をすませば』の原作が打ち切り!なぜ?その理由
『耳をすませば』原作の打ち切りの理由は、読者からの支持を得られなかったから。
少女漫画雑誌「りぼん」で連載が始まったのが1989年8月号。
そこから3ヶ月後の11月号で打ち切りになってしまったのです。
長期連載の予定で始めたはずの「耳をすませば」。
ところが、たったの4話で終わりを迎えてしまいました。
「耳をすませば」の原作者は、人気漫画家の柊あおい(ひいらぎ あおい)さんです。
柊あおいさんは、初連載漫画「星の瞳のシルエット」が大ヒットし一躍人気になりました。
柊あおいさんは当時のこと、この大ヒットについて次のように語っています。
Q 柊先生にとって、『星の瞳のシルエット』とは?
5回でおわるはずだった初れんさいにもかかわらず、たくさんの方々に支持を頂いて3年半も続ける事が出来ました。幸せな作品だったと思います。良くも悪くも20歳そこそこだった私のエネルギーを注ぎこんだ作品です。
引用:http://ribon60th.com/
このインタビューからもわかるように、柊あおいさんは初連載が大ヒット!となったことで、嬉しい様子が伝わってきます。
「りぼん」といえば、当時女の子たちは、夢中になって読んでいた漫画雑誌。
私もよく読んでいました。
じつは、この『星の瞳のシルエット』。
けっこうドロドロした恋愛ものだったんです。
でも、ずっとドロドロしたものを描き続けた柊あおいさん。
ドロドロの話を描くことに疲れてしまいました。
そこで心機一転、フレッシュな物語「耳をすませば」を連載することに。
「星の瞳のシルエット」の勢いがすごかったために、当時「耳をすませば」も期待されていました。
どんな形でもこんなに早々に打ち切りとなるのは、描きたいことも描き切れずとってもショックだったと思います。
読者が求める作品と、作者が描こうとする作品にズレがあり、読者から支持を得られずに打ち切り。
現実は厳しいもの、私が作家の立場だったら、ホント寂しいかぎりです。
『耳をすませば』原作とジブリの相違点は?
原作漫画とジブリ作品では、違う点がさまざまあります。
えーっ!こんなに違うのー!
と感じることがワンサカありますので、ひとつずつ見ていきましょう。
原作漫画とジブリの違い① 雫や聖司の年齢(学年)
ジブリ映画では中学3年生の設定で、原作では中学1年生の設定でした。
中学3年生となると受験生ということも関わってくるので、そこの部分のストーリーも少し変わっています。
雫や聖司の葛藤や悩みは受験が絡んでいることもあるので、これは大きな違いかなと思いました。
ちなみにジブリ映画での雫のお姉さんは大学1年生でしたが、原作ではまだ高校3年生になっているんです。
原作漫画とジブリの違い② 聖司には兄弟がいる
ジブリ映画には存在しない聖司のお兄さんが、原作には登場します。
名前は天沢航司(あまさわこうじ)。
航司は写真を撮ることを趣味としているみたいです。
聖司がかっこいいキャラクターなので、そのお兄さんとなるとどれほどロマンチックな人かと思いますよね。
でも、兄弟で性格がまったく違うんです。
航司もイケメンキャラとして登場していますが、周りから「変人」と言われるほどの変わり者。
しかも原作では、雫のお姉さんの月島汐(つきしましほ)と付き合っている設定。
ジブリ映画では、雫にハガキをポストに入れてきてと渡し、雫に彼氏宛か聞かれると「バカ」とだけ言っていたシーンがありました。
キャラクターとしての登場はないだけで、もしかするとジブリ映画にも汐に彼氏がいる設定だったのかもしれないですね。
原作漫画とジブリの違い③ カントリーロードは歌わない
「耳をすませば」イコール「カントリーロード」
といってもいいほど印象にあるこの曲。
なんと!原作では歌うシーンはありません。
「カントリーロード」は、ジブリ作品オリジナルの設定として歌われていました。
地球屋で繰り広げられた、あのおじいさんたちとのコラボレーションは原作にはなく、ジブリ映画だけのシーンということになります。
そして雫が歌詞を変えて歌った「コンクリートロード」は、宮崎駿監督が作詞したものとなっています。
が!
ホントは宮崎駿監督のほかに作詞をした方がいるってご存知でしたか?
それは、鈴木麻美子(すずき まみこ)さん、鈴木敏夫プロデューサーの娘さんです。
このことについて、ご自身の著書「鈴木家の箱」で次のように語っています。
「カントリーロード」はいまだ私の人生の中の大事件だ。
あの歌詞を書かせてくれる機会を与えてくれてしかも主題歌にまでしてくれた宮崎さん、父、近藤喜文監督には感謝の気持ちでいっぱいだ。引用:https://www.webchikuma.jp/
鈴木麻美子さん、とっても才能のある方ですよね。
スタジオジブリ作品の人気の秘密って、このようなエピソードが詰まっていることも理由にあるのでは?と感じている私です。
原作漫画とジブリの違い④ 聖司の夢
ジブリ映画での聖司の夢は「ヴァイオリン職人」ですよね。
原作では「画家」なんです。
ヴァイオリン職人には一切関わりがないので、原作ではヴァイオリンを弾くこともありません。
さっき原作ではカントリーロードを歌わないと紹介したのもこれにつながります。
原作での聖司は雫をモデルにした絵を描いています。
それを見た雫が「汐をモデルにしている…」と勘違い。
「聖司は汐のことが好きなのかもしれない」と誤解をしてしまったという少女漫画らしいシーンがあるんです。
原作漫画とジブリの違い⑤ 登場する猫は2匹
『耳をすませば』の原作漫画にもジブリ映画にも猫が登場します。
ジブリ映画には1匹の大きな猫「ムーン」がいますよね。
原作は黒猫2匹「ムーン」と「ルナ」が登場します。
しかも原作の2匹は大きくなくスマートな猫なんです。
黒猫のスマートな猫といえば、あの猫を思い出しませんか?
『魔女の宅急便』のジジですよね。
『耳をすませば』は1995年に公開され『魔女の宅急便』は1989年に公開されました。
ジジのほうが先にジブリ作品に登場しているので、被らないように見た目を変えたのではないか想像できます。
ところが、このエピソードには監督同士の考え方の相違があったようです。
近藤喜文監督は「原作通りやりましょうよ。『魔女の宅急便』で出してるといっても猫といったら黒猫じゃないですか」と提案しましたが、宮崎駿監督は「俺はそうは思わん」と反対の姿勢です。そして、社内では黒猫とウシコ風のムーンで、どちらが良いか人気投票が行われたのです。
その結果、近藤喜文監督は負けてしまい、映画に登場した太っちょなムーンが出来上がりました。
引用:https://ghibli.jpn.org/
引用中にあるウシコとは、当時スタジオジブリで飼っていた猫です。
ムーンのモデルとなった猫のこと。
さらにこの猫は『猫の恩返し』に登場するムタとの関連もあるのです。
『耳をすませば』原作の結末やその後は?
原作の結末は、聖司が雫を高台に連れていって朝日を見ながら「君が好きだ」「あなたが好き」とお互い告白するという流れなのです。
しかもそのあとに、汐と航司のカップルと一緒に飛行船に乗りに行くというところで物語は終わりました。
ジブリ映画は「雫、大好きだ!」とプロポーズして、雫を強く抱きしめるキュンキュンするシーンで結末を迎えましたよね。
結末も原作と映画で違いますが、よく似た結末です。
でもお互いが気持ちを伝うのと、プロポーズするのでは大きな違いですよね。
実は「耳をすませば」の実写版のストーリーは、雫と聖司の10年後を描いているんです。
そのストーリーで、2人は困難を乗り越えて結婚します。
2人は中学生ながらに自分が将来したいことが明確で、お互いに切磋琢磨しているのがすばらしい。
好きという感情だけでなくお互いを尊敬しあえる関係なので、2人が結婚できた理由は十分にあるでしょう。
実写版が出る前から、私は結婚すると考察していました。
2人はまだ中学生でこれからたくさん新しい出会いがあります。
携帯電話も持っていない時代ですし、連絡手段がない遠距離恋愛が始まりますよね。
現実的に考えると別れてしまうと思うんですが、これはピュアな少女漫画。
少女漫画のハッピーエンドは結婚することが多いので、結婚する可能性はとっても高いと思いませんか?
ちなみに、ジブリ映画のエンドロールでは待ち合わせして下校する杉村と悠子の姿がありました。
2人がいい感じだと思わせるような描写だったので、きっとうまくいったのでしょう。
『耳をすませば』原作打ち切り理由、違いやその後 まとめ
これまでドロドロの恋愛ものを描いていたため読者からの支持を得られなかったことが理由
・「耳をすませば」のジブリ映画と原作では、キャラクター設定と家族構成が違う
・原作の結末は、雫と聖司がお互いに告白して終わった。その後の雫と聖司は結婚する
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