ゲド戦記が大好き!わからないヒドイって評価になるのはなぜ?

ゲド戦記
引用:https://www.ghibli.jp
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2006年公開の『ゲド戦記』はスタジオジブリ作品の中でもとても好きな作品です。

ネット上のさまざまな評価をみると、意味不明や駄作などの酷評が目につきます。それはなぜなのでしょう?

私が『ゲド戦記』を初めて観たとき頭によぎったことは「この作品こそ、ぜひ子どもに観てもらいたい」という感情。これは素直にそう思いました。

今回は『ゲド戦記』の魅力を、子どもと一緒に作品を観ている親の視点から、いろいろ掘り下げ、この作品の好きなところや、評価が低い理由、そして初監督を務めた宮崎吾朗氏の思いと魅力を交えながらお伝えできればと思います。よろしければお付き合いください。



ゲド戦記が好き!① メッセージ性

一番最初に挙げたい『ゲド戦記』が好きな理由は、なんていっても真っ直ぐ心に響いてくるメッセージ性です。

メッセージその1 生と死

心の闇に支配され、自分の行いに対し自暴自棄になっているアレン(死)

命を粗末にする奴は嫌い!とアレンに言い放つテルー(生)

アレンとテルーは、物語の序盤で"生と死"について対照的に描かれています。

テルーのセリフが心に響きました。

死ぬことがわかっているから命は大切なんだ。

子どもにも伝わる、ストレートなセリフですよね。テルーがアレンに命の大切さを訴える真摯な姿がとても印象的です。

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また、ハイタカとクモの関係も"生と死"をキーにすると、同じように受け取ることができるのではないでしょうか。

永遠の命を得ようとするクモに対し、その考えは大きな過ちであり、死があることを受け入れ、限りある命だからこそ生きる意味があると気づいたハイタカ。

テーマ的に大人でも難しい内容ではありますが、クモの見た目の恐ろしさと大賢人ハイタカは、とても対照的に描かれているので、子どもの目からは"悪い人クモ""いい人ハイタカ"と、わかりやすいようです。

そしてクモのように、永遠の命を欲しがることがなぜ良くないのか?を『ゲド戦記』では、子どもにもわかりやすく教えてくれています。

自分がいつか死ぬことを知ってるということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。

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『ゲド戦記』のテーマである"光と影"は、この"生と死"に重なるものであると感じます。

世の中は何事にも"表と裏"や"陰と陽"などがありますが、それを、まだ経験の浅い子どもに説くのは難しいもの。

子どもが成長していく過程で、そんな"表と裏"を知ったとき、ぜひ『ゲド戦記』を観てなど、議論してみたいものです。

メッセージその2 自分との戦い

アレンは心の中に闇の部分が増え、自分の影に怯える日々を過ごしますが、テルーの力を借りて次第に自分の中に正義という光の部分が多くなってきます。そして闇の中から目覚め、クモとの戦いを制します。

自分との戦いに勝ったアレンは、とても勇敢な青年でした。

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現代の子どもたちは、昔では考えられないほどさまざまな情報を集めることができる社会で生きています。

子どもたちには今後、答えのない答えを出さなければならないシーンも多くなってくるでしょう。親としてそんなとき、何にポイントを置いて判断してもらいたいか?と考えたとき"自分が出した答えに正直であってほしい"という思いでした。

おそらく自分に正直な判断とは、アレンで言えば"光"の部分となるでしょう。

しかし、人間はどうしても怠惰で傲慢な生き物。"影"の部分が自分の中に増えて、正直では無くなったとき、私は親として子どもを導くことができるか?不安です。

また『ゲド戦記』では、よくファンタジーにありがちな、魔法を使って悪者を倒すとか、不思議なことが起こるなどのストーリーはありません。『ゲド戦記』における、ハイタカが使う魔法は"世界の均衡を保つ"ために使われています。

そんな魔法の使い方も、ハイタカが"自分との戦い"に勝ったからと考えることができます。

子どもが自分の中に"光と影"があることを認識するようになったとき、『ゲド戦記』振り返ってもらいたいと思っています。

メッセージその3 信頼

物語の序盤では、アレンとテルーの関係には信頼がまったくありません。しかし中盤以降、お互いが"信頼"で繋がっていき、終盤にはテルーがアレンの心の光を導くことになります。

また、ハイタカとテナーの関係も、深い信頼で繋がっていることがわかります。

この"信頼"は友達、夫婦、会社など、どんな環境下でも人と人とが関わっていくうえで大切なことです。

大人社会では、信頼関係が築けなくて関係が壊れてしまうことは多々あります。また信頼関係が強固だからこそ、ずっと会わなくても続いている関係もあります。

ハイタカがテナーのところに身を寄せるシーンは、そんな思いで観てしまいます。

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この信頼がいかに大切なものか?を『ゲド戦記』はしっかりと伝えてくれていると感じています。



ゲド戦記が好き!② テルーの唄

『ゲド戦記』といえば「テルーの唄」歌をイメージする方も多いのではないでしょうか?

テルーが丘で歌っているシーン、アレンとテルーの名シーンといってもいい大切な場面です。

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テルーの歌声は、話す声とはまた違い、寂しさを含みながらも、硬く閉ざされた心の扉をゆっくり開けてくれるような、やさしさに包まれたものでした。

この曲の歌詞は、自分の心にスーッと染み込んでくるせいか、歌のシーンでは、心のありようについて深く考えさせられ、アレンの気持ちとリンクしてしまい、涙してしまったシーンでもあります。

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ゲド戦記が好き!③ キャッチコピー

『ゲド戦記』のキャッチコピーのひとつ「見えぬものこそ。」

さすが、糸井重里さんですよね。とても深く心に入ってくる言葉です。

見えないものこそ大切にしていかなければ人間として生きていくことが出来ないと、人の親になってから特に感じています。

子どもの頃は見えなかったのに、人として年数を重ねれば見えてくるものが多くなるというもの。そんな自分の気づきを子どもにどう伝えたらよいか?と考えたとき、この『ゲド戦記』はとても良い作品だと感じています。



ゲド戦記が好き!④ 魅力あふれる宮崎吾朗監督!

宮崎駿監督の長男である宮崎吾朗氏。『ゲド戦記』がスタジオジブリの初監督作品です。

映画の公開が2006年、当時宮崎吾朗監督は38歳でした。では、それまではどんなお仕事をされていた方なのでしょう?

プロフィール

宮崎吾朗 (みやざき・ごろう)
1967年、東京生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。
その後’98年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、’01年より‘05年6月まで同美術館の館長を務める。
2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。

引用:STUDIO GHIBLI/スタジオジブリ蔵 ゲド戦記監督日誌 2005年12月13日

大学の専攻をみても、アニメの世界とはまったくかけ離れたものだったので、少しびっくりしました。

そして、31歳から三鷹の森ジブリ美術館の仕事に携わります。

きっかけは鈴木敏夫プロデューサーで、当時まだ10代だった頃に持った吾朗氏の印象を、次のように語っています。

中学生の頃から彼を知っていましたが、おじいさんの葬儀で久々に会った際、「吾朗です」と声を掛けられたのが妙に印象的だったんです。僕の目をしっかりと見て、視線を放さなかった。美術館の話が持ち上がった際、ふと顔が浮かんだんです。それで宮さんに吾朗君にやってもらうのはどうかと話したら、「鈴木さんが説得して、本人がやるというなら仕方ない」ということになって。

引用:STUDIO GHIBLI/スタジオジブリ蔵  世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)

鈴木敏夫プロデューサーの眼力はやっぱり凄いですよね。

宮崎吾朗監督が、三鷹の森ジブリ美術館の館長を務めることになってから『ゲド戦記』の監督をするまでには、様々なエピソードがあるのですが、これまでアニメーションとはかけ離れた仕事に携わっていたのに、監督になることを決めたきっかけが気になりますよね。

このことについては、スタジオジブリ公式サイト「ゲド戦記監督日誌」で語っています。

監督を引き受けた理由① 作品が「ゲド戦記」だから

宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」との出会いは高校生のとき。

ご自宅にあったアーシュラ・K・ル=グウィン著「ゲド戦記」を読んだそうです。

この小説は、全6巻からなる、壮大なファンタジー作品。
第1巻「影との戦い」(1976年)
第2巻「こわれた腕環」(1976年)
第3巻「さいはての島へ」(1977年)
第4巻「帰還 -ゲド戦記最後の書-」(1993年)
第5巻「アースシーの風」(2003年)
第6巻「ゲド戦記外伝(ドラゴンフライ)」(2004年)

高校生だった宮崎吾朗監督は、当時出版されていた第3巻までを読んでいましたが、監督をすることに決まった20年後の38歳にあらためて読み直したら、印象がまったく違い、ご自身とリンクする部分があるとも語っています。

そして、ル=グウィン氏からスタジオジブリへ「ゲド戦記」映像化の承諾を伝えた、本作品の翻訳者である清水真砂子さんは、次のように語っています。

 「ゲド戦記」はたしかに読み手の人生経験の積み重ね、その哲学の深まりと共に、その読みもさまざまに変化をとげていく作品である。

引用:STUDIO GHIBLI/スタジオジブリ蔵  特別寄稿 もうひとつの風を待つ。──「ゲド戦記」映画化にむけて

監督を引き受けた理由② 自分の本当の気持ちに気づいた

そして『ゲド戦記』の監督を引き受けた二つ目の理由として、このように語っています。

父との関係もありこれまで長く気づかないふりをしてきたアニメーションへの想いが拭いがたく自分の中にあることに気がついたからです。

引用:STUDIO GHIBLI/スタジオジブリ蔵 ゲド戦記監督日誌 2005年12月13日 前口上 父は反対だった

どこまでも自分の気持ちに真摯に向き合っていることに、こちらがドキッとしました!

また、父である宮崎駿氏からと反対されていることも、ご自身の言葉で綴られています。

『ゲド戦記』の宣伝が開始されれば、好むと好まざるとに関わらず、それを監督する私に「宮崎駿の息子」という形容詞が冠されることは容易に想像がつきます。これに対して鈴木敏夫プロデューサーの出した結論は、「作品そのもので応える」ことはもちろんだが、「作品そのもので勝負するためにも、『宮崎駿の息子』ではなく一人の人間としての宮崎吾朗を知ってもらうべきだ」というものでした。
いろいろと悩んだ末、私もこの考えに同意しました。

引用:STUDIO GHIBLI/スタジオジブリ蔵 ゲド戦記監督日誌 2005年12月13日 前口上 父は反対だった

自分の気持ちを隠そうとしない姿、メディアを介すのではなく"自分の言葉で伝えたい"と考える宮崎吾朗監督の気持ちは、作品の随所にも表れています。

何事も真摯に向き合うということの大切さを、宮崎吾朗監督を通して学びました。

引用:https://www.ghibli.jp

宮崎吾朗監督が『ゲド戦記』で伝えたかったことは「いま、まっとうに生きるとはどういうことか?」

そんな疑問を自分に投げかけながら作品を観ると、また違った面白さが発見できるのではないでしょうか?



ゲド戦記|わからない、ひどいと評されるのはなぜ?

ネット上で語られている映画『ゲド戦記』の評価について、さまざま情報を集めてみると、原作との違いや意味不明などの評価が目立ちます。

しかし、映画『ゲド戦記』は、原作を小説「ゲド戦記」、宮崎駿監督の作品「シュナの旅」を原案としている作品。[「シュナの旅」を原案にするまでの経緯については、鈴木敏夫プロデューサーが(前出のスタジオジブリ蔵)で語っています]

それを、原作とココが違う!などをはじめとした評価は、少し違っているように感じています。

宮崎吾朗監督の言葉を借りれば、これに尽きると思います。

「まっさらな気持ち、雑念のない状態で『ゲド戦記』を見てほしい



まとめ

いかがでしたでか?ここまで読み進めていただきありがとうございました。

宮崎駿氏の息子として生を受けた宮崎吾朗監督。あの偉大な父の作品に幼い頃から触れているからこそ、監督を引き受けることには並々ならぬ熟慮と決断があったと思います。

"気づかないふりをしてきたアニメーションへの想い"が、ご自身の光であると感じた38歳からは、まっとうに生きていると感じていらっしゃるのでしょうか。

 

先日、何十年かぶりにテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)を子どもと一緒に観ました。私が幼い時に観ていた大好きな番組です。ジブリの源流といわれている作品の一つですが、高畑勲氏、宮崎駿氏の凄さが伝わり、あらためてびっくりしました。

当時、宮崎駿氏は33歳。

宮崎吾朗監督が『ゲド戦記』でアニメーションの世界に入ったのが38歳。

今年劇場公開される宮崎吾朗監督作品『アーヤと魔女』をはじめ、今後の宮崎吾朗監督のご活躍が楽しみでなりません。



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